Adobe Illustrator 日本語版の誕生の秘密! 開発費は3億円。日本のデジタルデザイン、DTPはどのように生まれたのか? アドビイラストレーター日本語版の開発元・日本総販売元の元システムソフトの樺島正博氏に開発秘話と経緯を伺った:樺島正博×覚田義明

Adobe Illustrator 日本語版の誕生の秘密! 開発費は3億円。日本のデジタルデザイン、DTPはどのように生まれたのか? アドビイラストレーター日本語版の開発元・日本総販売元の元システムソフトの樺島正博氏に開発秘話と経緯を伺った:樺島正博×覚田義明

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今では日本中で使われるようになった。Adobe IllustratorとAdobe Photoshopだか、最初は日本語版の開発さえも計画に無かった。しかし、そんな時、福岡のある男が立ち上がった。それが樺島正博氏だ。Adobeが日本のマーケットに興味が無い時に何度もシリコンバレーに足を運び、Adobeにプレゼンをして日本での販売、日本語版開発、プログラム開発コード公開の承諾を得た。すなわちシステムソフトによるAdobe Illustratorのエクスクルーシブ販売契約(日本独占総代理店契約)である。1968年の事だ。

樺島正博 × 覚田義明 _DSC4790

しかし、実はここに問題がある。Adobe Illustratorの日本語版は存在していないのだ。そこで、日本語版をそもそも開発する必要がある。もちろん開発する権利も獲得していた。まだ、世の中のソフトウエアは1バイトコードで書かれていた。なので2バイトコードの日本語にする事は簡単には出来ない。それをアドビとともに開発するのだ。

更に、まだ日本マーケットには市場が無いと思っているAdobe側に人材をさくことも出来ず、日本語がわかりプログラムも出来る人材もアメリカにはまだまだ少なかった。

当時、アメリカで生まれたソフトウエアは通常であればローカライズを行う。(英語版のソフトを日本語化、マニュアルの日本語化、パッケージの日本語化。などを行うことをこう呼ぶ。もしくは、パッケージとマニュアルだけ日本語化することをさす時もある。)当時のローカライズはアメリカ側で英語版を開発し、出来上がったモノを、日本側に送り込み、そして日本で日本語版を創るという風に開発をしていた。しかし、これではなかなか進まない。いつまでたっても英語版と日本語版のタイムラグが2〜3年になってしまう。また、出来上がったソフトウエアもバグだらけになってしまうのだ。完成までに時間がかかり、プログラムが出来たとしても、そこからようやくパッケージ化を行う。結局正式発売には3年以上かかってしまう。そこで、樺島はまったく違う方法を考えた。

システムソフト社内の人材をシリコンバレーのAdobeのアプリケーションソフト開発チームに送り込むと言う方法だ。福岡には九州大学、芸工大(芸術工科大学)などがあり、優秀な人材がいた。その人材を福岡本社のソフト会社、システムソフトの社員として迎え育てていた。そのメンバーをシリコンバレーにあるAdobeの開発チーム送り込み一緒に開発するという方法だ。

これが、樺島正博 式グローバルマーケティングだ。
福岡で商品の戦略や企画、計画、マーケティングを行う。そして、アメリカシリコンバレーでソフトの日本語版の開発を開発元と同じオフィスで行う。そして、福岡で商品のデザインやパッケージ、入荷、在庫、総販売代理店業務を行い。福岡から日本全国へ商品を流通させる。すなわち、福岡〜シリコンバレーー福岡ー日本全国。

こうやって、作られたソフトウエアは、Adobe Illustrator、Adobe
Photoshop、QuarkXPress、MacroMind Director、Claris Works、Claris Drow、FileMaker、Symantec Norton AntiVirus、 Symantec Norton Doctor と数えきれない。

こうやってシステムソフトから各アプリケーション会社に送られた人材は数十人となっていった。よって、こうやって作られたソフトウエアはいわば全て福岡生まれ、まぁ育ての親という感じだろうか、なのでよくwikiペディアに書かれているような、システムソフトはただの販売店ではない。システムソフトは日本の総販売代理店であり、日本語のパッケージなどを行うローカライズ会社でもあり、更には各アプリケーションの日本語版のコードを開発も行っていたのだ。また、Adobe Japanが出来てからもアプリケーションの日本語版の開発はシステムソフトで行っていた。これが、樺島正博 式グローバルマーケティングだ。

日本のデジタルデザイン革命は福岡のダイレクトマーケティングで作られていたのである。そして、その後、アメリカに送り込んだスタッフが増え出したので、作ったのがSystem Soft US、通称システムソフトアメリカと呼ばれていた1987年の事だ。

<樺島正博氏のインタビューを動画で公開!>

●第1部:Adobe Illustrator の日本語版開発元・日本総販売元になった経緯:樺島正博×覚田義明
●第2部:Adobe Illustrator の日本語版開発について:樺島正博×覚田義明
●第3部:Adobe Illustrator の日本語版販売について:樺島正博×覚田義明
●第4部:Adobe Illustratorの日本語版の拡販について:樺島正博×覚田義明

【第1部】
Adobe Illustrator の日本語版開発元・日本総販売元になった経緯:樺島正博×覚田義明

●Adobe Illustrator を、知ったきかっけは?
●1986年1月のマックワールド・サンフラシスコにてAdobe Illustratorの発表!
●Adobe Illustratorアンカーポイント、ハンドル(方向点)に感動した。
●Adobeが日本のマーケットに興味が無い!
●Adobeへの日本語版開発・販売権利のプレゼンする
●Adobeプレゼンの準備について
●Adobe契約について?
●Adobeの日本語版開発権利・日本総販売元権利を獲得
●日本語版開発元について
●日本総販売元について

【第2部】
Adobe Illustrator の日本語版開発について:樺島正博×覚田義明

●Adobe Illustrator開発は1年間かかった。
1986年の3月頃に開発を初めて、1987年の3月頃に開発完了
●Adobe Illustrator J開発メンバーは10名
●日本とアメリカの両方で開発を進めた
●アドビに送ったのは3名のシステムソフトの社員、安田、八木、平松
●日本はテストに明け暮れる6名・・ QC(quality control 品質管理
●Adobe Illustrator開発困った事は?
●ラッキーだったことは
●マニュアルについて、日本
●パッケージについて、フロッピー
●システムソフトアメリカ1987に開設

【第3部】
Adobe Illustrator の日本語版販売について:樺島正博×覚田義明

●Adobe Illustrator 日本語版の発売準備
●Adobe Illustrator販売開始
Adobe Illustrator 日本語版売り出したのは1987年の12月
●売上げ・毎月どのくらい売れていたのか?
最初500本。つくった。
月20本から30本しかうれなかった。
日本語が出力できなかった

●ポストスクリプトが解る人がいない。

●売上げ・毎月どのくらい売れていたのか?
次に創ったのが2000本、3ヶ月でなくなった
5000本。半年で無くなった。
ココで話題になった1万本売れた
その後、年間で20万本出た

【第4部】
Adobe Illustratorの日本語版の拡販について:樺島正博×覚田義明

●ポストスクリプトプリンターが無い
●ポストスクリプトプリンター日本語版が無い
●タイプセッターとイメージセッタ!
●アップルからレーザープリンターに出てくる
1987年 LaserWriter II NTX 140万円
LaserWriter II NTX-J 1989年1月に発売
●プポストスクリプトプリンターの対応を行う
●出力センターを東京と福岡に設置
●エータイム、パークウエイでのDTPラボ
●書体開発
●印刷会社へ販売開始
●Adobe Japanの社長の面接をアドビで社長と
か樺島正博が行う。

★全動画リスト

★樺島正博(公式)Facebookページ
https://www.facebook.com/514169185368417

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